旧長銀経営陣は無罪 - 裁かれるべき対象を意図的に間違えるテクニック
横並びで同じような悪い事をやってるのに、どこかを狙い打ちにして「アイツが悪い」という雰囲気づくり。
旧長銀経営陣は最終的に無罪になった。その非を問われるべきであったのは旧大蔵省ではなかったのか?
元ライブドア代表の堀江被告はどうなるのだろう。そして本当に裁かれるべきなのは誰なのだろうか。
政策的、政治的な意図を以て検察が捜査を行うというのは、国家として健全なのだろうか。
国家としての秩序づくりのためであればどんなイカサマをしても許される国家運営の行き着く先が悲惨なのは、
すでに経験した事なのではないだろうか?
なんとなく、ではなく、この意味を真剣に捉えてもらいたい。
先の大戦の戦争責任の帰結は結局どこへ行ったのか。
軍の最高司令官は誰だったのか。
その判断は適正に行われたのか。
そのシステムを設計したのは誰なのか。
そこに自分たちの意志を反映させるために何が出来たのか。
今現在も我々は同じ。ひとりひとりの人間としてこういったことに対して考え、行動し、発言すること。
そしてそれらが言論の自由で担保されていること。
18歳未満にはインターネットは不要と考えることや、その基準を国家が統制するという法整備。
そしてそれらに無関心な状態。
これら言論の自由や表現の自由、通信の秘密が担保されることを国家が憲法を書き換える事すらなく行っても、
疑問すら持たないのか?
道路交通法という名前の治安維持法が今現在も生きていることに疑問すら持たないのだから、
それは自然なのかも知れない。
本来、どのような国であるべきなのか。
そしてそれに向かってどのような行動を取らなければならないのか。
世界が平和であるためには、まず自国がその模範を示せなければならない。
そして当然、その平和を担保しうる、継続的な平和国家を運営出来るだけの方針がなければなるまい。
子供を生めば損をして、社会も制裁しか与えない。
働かないものは保護され、働いて地位と名声と金銭を手に入れるものは批判され、格差社会と糾弾される。
成功をのぞみ努力すること、競争することを否定し、子孫をつくらず、教えず、守らず。
それでこの先自分たちの子供や、自分の愛すべき人や自分の愛するふるさとが、未来にも存在すると思うのだろうか。
本当に裁かれるべき対象は何だったのか。
責任者は誰なのか。
そしてどう裁くべきなのか。
そして、その教訓を活かし、どう未来をつくっていくのか。
考えるのも、実行するのも、すべてあなた自身なのだ。
そして私自身でもあるのだ。
「アイツが悪い」と批判して思考停止するのはやめよう。誰もがプレイヤーなのだから。
私はバブルでふるさとを失った。
失地回復することはないだろう。
ふるさとを失うということの本当の意味って何だろう。
自分の居場所や自分の生き方を作っていくこと、そしてその方法を柔軟に保つ事。
決して排他的にならずに、独占的にならずに、健全な競争を奨励する事。
ひとつひとつ、示していけるようになりたい。





