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2008/06/10: Web時代のクライアント・サーバーモデル [3G iPhone 7月11日発売]というのがとても良エントリだったので脊髄反射

iPhone が市場を席捲して日本のケータイ市場の地図が大きく変わる」なんて考えるのはあまりにナイーブだと思うし、そんなことは起こらないと確信を持って言える。でも、ケータイ業界のみなさんは“iPhone的なモノ”がじわじわと浸透してくることは、しっかり覚悟しておいたほうがいいと思う。

この“iPhone 的なモノ”の本質は、
ユーザーが身につけるデバイス
デバイスの上で動く slick なアプリケーション
アプリと緊密に連携するネット上の専用サービス
の3層システムだと思う。Web時代のクライアント・サーバーモデル。

市場を席巻すると考えるのもナイーブだけど、やっぱり「影響ありますかね?」とか斜に構えるのもイカンです。

何も起こらなそう、とか売れなそう、とか色々言ってますが、あんだけふつーのテレビでもニュースになってるから、
売れないわけはないと。
またしてもメディアを使った無料の宣伝広告ですな。Appleは広告費ケチるのうまいなぁ(いい意味ですよ)

iphoneがdocomoから出るよーって書いておいて、今の段階ではソフトバンクから出そうなわけですが、
独占契約でもなさそうなので今後の動きが気になりますね。

ソフトバンクにキャリア変えるの、憂鬱だなぁ。
理想としてはdocomoのままiPhone3G使いたいです。やはり。

で、気になるのはSIMカードの抜き差し。
FOMAカード抜き差しで普通のケータイもそのまま使えてくれないと、
やっぱり普通のケータイサイト使いたいシーンではどうしようもなかったり。

本当はこうだったら良かったな、という理想型としてはiPhoneのSafariからも普通に今までのiモードサイトにアクセスが出来る、ということ。ただ端末情報とかをiPhoneがそのまま送信してくるのかは謎ですが。

昨日も書いたけど、やっぱり首都圏電車ユーザーとしてはモバイルSuica使えないのはキツいです。

最悪ワンセグはあきらめるにしても。

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少し前の話になるが、ともだちが演出している芝居が行われるという話で、
神保町花月にお邪魔した。

その際にしみじみ感じたことだけど、やっぱりこの人たち、
サッカーで言うとブラジルなんだなと思ったわけです。

こんにちはこんにちは!

はてなダイアリーがおかしなことになってるよ?

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くわしくはこちら

facebookだと俺はこのへんにいます。
で、なんかOpenSocialだそうで。

色々詳しい人が知見を散々書込んでると思うので、ソーシャルグラフがなんだとかいう事はひとまず置いておいて、最近色々考えた事をまとめておこうかと。

独り言なんで意味わからないかも知れませんが、weblogの私なりの使い方にてご容赦のほど。

気分じゃないときは関わりたくないソーシャル

粋と無粋のあいだに何があるのかなんて語りたくもないわけですが、正直そんな気分じゃないよってタイミングで割り込まれる事が好きじゃない気分ってあるわけで。

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踊りたい気分の時は踊りたいところに居るし、飲みたい時は飲みたい場所に居るのが普通だっていうのに、こういうソーシャルなんとかが日常に土足で上がり込んできそうな嫌悪感ってないですか?

mixiだってすごく流行ってるけど、押し付けられると面倒なもんですよね。
なんというかもっとほどよくゆるーくつながれないかな、というか。

「常に最悪の事態を想定する」事の難しさを痛感する出来事がいくつか重なった。

ひとつは、想像しうる最悪の事態というものはそれを想起するだけでも縁起が悪いと考える契機になったり、心理的な不安を呼び覚ますという局面がある、という事。
誰もが同じ思考をするということはやはり到底起こりえないので、この思考法に関して他人に披瀝することが必ずしも得策ではないのだという事は肝に銘じておきたい。

ふたつめは、最悪の事態そのものに対する備えを怠ってしまうこと。
特に誰かに依頼した事柄や出来事、タスクというものが「取るに足らないもの」だからと言って確認を怠ってはいけない。その「取るに足らないもの」が、依頼されている当事者にとってはこちらの想像を遥かに超えて難しいものである場合もあるし、こちらにとってその「取るに足らないもの」の重要性がどの程度なのか相手に正確に伝わっていなければ、やはり「取るに足らないもの」であると同時にすぐに処理しなくても差し支えのないものであるものとも思われてしまい、未完了タスクリストの最下層に放り込まれて、忘れ去られてしまうかも知れないのだ!

これらの事柄に共通することとして今じぶんが捉えているのは、コミュニケーションというものは相手との共通認識、相互理解を何かしらの明白な結果に結びつける段階まで至ったことが確認できるまでは、実際は成立していないのかも知れない、という知見である。

雅びなコミュニケーションやニュアンスで通じあえる友人とのまじわりをさして言っているのではない。

これは、現実を生きていて、現実を塗り替えなければ生活することすらままならない、自分というなまの存在の再発見なのだと思う。

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