なんにも言わずに、落ち着いて集中出来る時間を作ったらこのリンク先に飛んで下さい。
だましとか一切ないので。
でも5分くらいの時間とまわりを気にしないで集中できる状態の確保は忘れずに。
音も重要なので、ヘッドホンして、今再生してる音楽も止めて。
しかしいいコンテンツだなぁ。これはひさびさにやられたカンジです。
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だましとか一切ないので。
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音も重要なので、ヘッドホンして、今再生してる音楽も止めて。
しかしいいコンテンツだなぁ。これはひさびさにやられたカンジです。
いいエントリを読んだ。ものすごく遅まきになってしまっている事に気付かされた事件が最近多い。
積極的な情報収集とか交流は自分だけしかハブになれない環境では広がらない。
情報感度の高い仲間、外向きに動き続ける仲間と行動すると沢山の出会いが広がる。
座学ばかりを続けていた訳ではないけれど、大きく出ても本当に実現可能なアイデアで勝負したからと言って
かならずものになるとは限らない。
既にそこにあるものに着目しよう。
自分に何が出来て、何が出来なかったのか、今怒濤の中において、
何をやれるのか。
デジタル・ネット時代における知財制度専門調査会(リンク先は調査会のお知らせ資料一覧。時間がある時にどうぞ。)
首相官邸から生まれた機運が結実の方向に向かってます。
10月29日のインターネットウォッチの記事、
「日本版フェアユース規定」の導入を提言、知財戦略本部の専門調査会
によれば、
報告書案では、侵害行為を抑制するとともに、 利便性向上によるコンテンツの新たな需要を喚起するようなサービスなどを安心して提供できるようにする ことが必要だと指摘。また、裁判例では必ずしも一致した認識に基づいているとは考えられないとして、 著作権法における間接侵害の明確化に関する検討を早急に進め、 行為主体の考え方をはじめ差止請求の範囲を明確化することなどが必要だとしている。
(改行と強調はnaotakeによる)
との事。この流れを受けて、実際の権利保持者であるところの
日本音楽著作権協会(JASRAC)や日本レコード協会(RIAJ)など音楽著作権関連7団体も、
権利者不在での議論を懸念しての要望書を提出したという。
更に、時期は前後するものの、利用者側の意見も加えて欲しいと、
無限責任中間法人インターネット先進ユーザーの会(MIAU)も
要望書の提出を行っている。
いよいよ役者が揃って、本格的な着地点を模索しはじめたというところだろうか。
wikipediaによるフェアユースの記事にもあるが、
アメリカにおけるこれら法整備は、抽象的な判断指針として示され、概念的に敷衍されてはいるが、
利用態様を個別具体的に列挙したものではないため、別に示されたガイドラインに基づいてその都度議論し、
裁判によって結論づけられていることが多い。
日本の法曹はこれら個別具体的な定義も含めて整備されてからの運用が多いという印象をもっている。
著作権法によらず、その他の法制度も個別具体的に示されたルールの中で、対象の事柄が違法であるか、
適法であるか、という二元論的なジャッジになっている例が多い。
法律で示されていない部分は判例に頼り、判例が存在しない場合にはじめて本当の意味での判断が必要になる。
細かいところまで話し合いして決めて、その上でしか実行されないという流れそのものが問題だと言う事が、
これらフェアユースの醸成の過程で解消されていくのではないか、という予感がしている。
この10年間を振り返ってみて欲しい。
10年前に日常的にインターネットを利用していた人はどれくらいいただろうか。
モバイルインターネットが沢山の人を覆い尽くし、高齢者同士ですらケータイメールで頻繁に連絡を取り合う。
学校や行政の現場でも連絡や周知の手段として最初に考慮されるのがメールをはじめとした
いわゆるネットを使った手段になってしまった。
10年前はプリント配布や(本物の)掲示板による告知が主体だったし、高齢者はケータイなんて持ってなかった。
地上波デジタルへの完全移行が目に見えるスケジュールになって沢山の人の認知するところになったように、
またその到来の時期のモバイル放送と通信がどのように変貌していくのかを正確に把握出来ている人などいない。
国際情勢と密接に連携していることそのものが国家の在り方になってしまっている今、
国内の関係省庁の指示や白書だけで、新しい通信や放送の在り方を決めてしまう事はすでにナンセンスだ。
IPTVの動きひとつとってみても、どういった利用形態が市場に受け入れられるのか、
決定事項に乗っ取って動くような事を実際の事業者が繰り返していては、
今後の世界の中で生き抜いて行く事など不可能な事は、ガラパゴス携帯となってしまった国内の携帯電話メーカーが
いみじくも証明してくれている。
docomoの冬モデルの中にソニーエリクソンの携帯はない。
ソフトバンクの冬モデルの中にあるフルタッチモデルがメディアにべた褒めされているが、
世界中に向けて発売出来る代物ではないのは言うまでもない。
日本の良さを世界に向けて発信していくには、日本のコンテンツや文化も知ってもらわなければいけないのに、
これらが自由に世界に飛び立って行く土壌が存在しない今、単にネットにおける利用が、という狭窄視野でなく
世界中に向けて発信する技術、文化、それぞれ渾然一体となったコンテンツとして広め、
親しまれるためにどうすればいいのか。
それぞれの思惑はあろうが、結局のところ最初の目的は何だったのかを見極めることが成功への糸口ではないだろうか。