訃報、あーちゃんの思い出
私事ですが、母方の祖母が逝去しました。
北海道、旭川で屯田兵の長女として生まれ、宝飾店を営んでいた祖父と共に戦後の長崎の街の復興、
さまざまな景気の動向や身内の事業の成否、娘である私の母の早世など、さまざまな苦労に耐え、
数えで九十歳の大往生でした。
私自身、そして同年代の孫連盟は筆舌に尽くせないくらいあーちゃんに世話になり、
感謝してもしつくせない思いを胸に、彼女を送り出しました。
思い出すのは、なんともいえないあたたかな、
天真爛漫すぎるがゆえに時に他人の世間的な面子をあやうくするほどの歯に衣着せぬ物言いや、
目に見えないものや些細なことがらの中に秘められた思いを教えてくれたことや、
優しすぎるがゆえの弱さを昇華した大きな安心感だったり、
ビニール袋いっぱいにつめた干し貝柱のおやつだったり、
きりがありません。
戦争に到るまえのこの国の姿や、そこで近代国家としての青春を過ごした人たちの生き生きとした情景、
プライドや見栄の前に本来的にこの国がもっていた誇り、恥というものの意識、ひとを思いやり、
つましく、美しく生きた沢山のひとびとの話、
もっともっと沢山聞きたいことや話したいこともありましたが、
中々に聞く機会もつくれないまま、最期を迎えました。
諸般の事情もあり、若干ぼけ気味になってしまっていたこともあり、
直接連絡をとることが出来ず、帰郷の機会には、と念じていましたが
何となく予見していた通り、臨終の床にての再開となりました。
父方の祖父のときも、母親のときも、そして今回も、本当に死にゆく、その瞬間に確かに立ち会いました。
命脈ということばの意味を身を以て知るのが夏ばかりなのは、何かの宿命なのでしょうか。
思えばかけがえのない仲間を失ったのも同じように夏ばかりです。
今しとしとと降り続く雨は、涙すら出ない誰かの流した涙なのかも知れないと、
ふと思ったりもするのです。
