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2008年08月26日

訃報、あーちゃんの思い出

私事ですが、母方の祖母が逝去しました。

北海道、旭川で屯田兵の長女として生まれ、宝飾店を営んでいた祖父と共に戦後の長崎の街の復興、
さまざまな景気の動向や身内の事業の成否、娘である私の母の早世など、さまざまな苦労に耐え、
数えで九十歳の大往生でした。

私自身、そして同年代の孫連盟は筆舌に尽くせないくらいあーちゃんに世話になり、
感謝してもしつくせない思いを胸に、彼女を送り出しました。

思い出すのは、なんともいえないあたたかな、
天真爛漫すぎるがゆえに時に他人の世間的な面子をあやうくするほどの歯に衣着せぬ物言いや、
目に見えないものや些細なことがらの中に秘められた思いを教えてくれたことや、
優しすぎるがゆえの弱さを昇華した大きな安心感だったり、
ビニール袋いっぱいにつめた干し貝柱のおやつだったり、
きりがありません。

戦争に到るまえのこの国の姿や、そこで近代国家としての青春を過ごした人たちの生き生きとした情景、
プライドや見栄の前に本来的にこの国がもっていた誇り、恥というものの意識、ひとを思いやり、
つましく、美しく生きた沢山のひとびとの話、
もっともっと沢山聞きたいことや話したいこともありましたが、
中々に聞く機会もつくれないまま、最期を迎えました。

諸般の事情もあり、若干ぼけ気味になってしまっていたこともあり、
直接連絡をとることが出来ず、帰郷の機会には、と念じていましたが
何となく予見していた通り、臨終の床にての再開となりました。

父方の祖父のときも、母親のときも、そして今回も、本当に死にゆく、その瞬間に確かに立ち会いました。
命脈ということばの意味を身を以て知るのが夏ばかりなのは、何かの宿命なのでしょうか。
思えばかけがえのない仲間を失ったのも同じように夏ばかりです。

今しとしとと降り続く雨は、涙すら出ない誰かの流した涙なのかも知れないと、
ふと思ったりもするのです。

2008年08月06日

驚異的な没入感をお茶の間で

ついにこういうものが出ましたか。

早く遊びたいですね。
WiiFitで使ってたアレと併用でかなりおもしろいことができそう。

2008年08月05日

ストリートビューのキモさ


日本版がはじまりましたね。

やっぱりキモがってる人が多いみたいで思い出したのがこの名作。

うーん、やっぱり近所が表示されるのは面白いね。
知ってる人が写ってるのを発見しちゃってる人も散見される様子。

なんとも微妙な気持ちだね。

2008年08月01日

どうりでSafariが落ちまくるわけだ…

iTunesで確認しても「今入ってる2.0が最新だよ」って返事してたiPhone3G。
それにしてもSafariが落ちまくる。正気の沙汰とは思えないほど。

どうしても腑に落ちなかったのでよくよく確認してみると…

5A345.jpg

build番号が345…完成一歩手前のファームでした。
出荷時点ではこうせざるを得なかったかも知れないけど、ひどすぎる…

アホくさいなと思いながらもiTunesの「復元」メニューで
現段階での最新stableにファームを更新。
劇的に変わったのは日本語入力のスピードです。

これ、けっこう気付かないでいる人おおいかも知れません。
最新バージョンは347です。
是非一度自分のができそこないファームでないか確認してみる事をおすすめします。

それにしても、こういう不具合バリバリのものを次のアップデートまで放置する事にしてるAppleも、
そうとうテンパってますね…

旧長銀経営陣は無罪 - 裁かれるべき対象を意図的に間違えるテクニック

横並びで同じような悪い事をやってるのに、どこかを狙い打ちにして「アイツが悪い」という雰囲気づくり。

旧長銀経営陣は最終的に無罪になった。その非を問われるべきであったのは旧大蔵省ではなかったのか?

元ライブドア代表の堀江被告はどうなるのだろう。そして本当に裁かれるべきなのは誰なのだろうか。

政策的、政治的な意図を以て検察が捜査を行うというのは、国家として健全なのだろうか。
国家としての秩序づくりのためであればどんなイカサマをしても許される国家運営の行き着く先が悲惨なのは、
すでに経験した事なのではないだろうか?

なんとなく、ではなく、この意味を真剣に捉えてもらいたい。

先の大戦の戦争責任の帰結は結局どこへ行ったのか。
軍の最高司令官は誰だったのか。
その判断は適正に行われたのか。
そのシステムを設計したのは誰なのか。
そこに自分たちの意志を反映させるために何が出来たのか。

今現在も我々は同じ。ひとりひとりの人間としてこういったことに対して考え、行動し、発言すること。
そしてそれらが言論の自由で担保されていること。

18歳未満にはインターネットは不要と考えることや、その基準を国家が統制するという法整備。
そしてそれらに無関心な状態。
これら言論の自由や表現の自由、通信の秘密が担保されることを国家が憲法を書き換える事すらなく行っても、
疑問すら持たないのか?

道路交通法という名前の治安維持法が今現在も生きていることに疑問すら持たないのだから、
それは自然なのかも知れない。

本来、どのような国であるべきなのか。
そしてそれに向かってどのような行動を取らなければならないのか。
世界が平和であるためには、まず自国がその模範を示せなければならない。
そして当然、その平和を担保しうる、継続的な平和国家を運営出来るだけの方針がなければなるまい。

子供を生めば損をして、社会も制裁しか与えない。
働かないものは保護され、働いて地位と名声と金銭を手に入れるものは批判され、格差社会と糾弾される。
成功をのぞみ努力すること、競争することを否定し、子孫をつくらず、教えず、守らず。
それでこの先自分たちの子供や、自分の愛すべき人や自分の愛するふるさとが、未来にも存在すると思うのだろうか。

本当に裁かれるべき対象は何だったのか。
責任者は誰なのか。
そしてどう裁くべきなのか。
そして、その教訓を活かし、どう未来をつくっていくのか。
考えるのも、実行するのも、すべてあなた自身なのだ。
そして私自身でもあるのだ。

「アイツが悪い」と批判して思考停止するのはやめよう。誰もがプレイヤーなのだから。

私はバブルでふるさとを失った。
失地回復することはないだろう。
ふるさとを失うということの本当の意味って何だろう。

自分の居場所や自分の生き方を作っていくこと、そしてその方法を柔軟に保つ事。
決して排他的にならずに、独占的にならずに、健全な競争を奨励する事。
ひとつひとつ、示していけるようになりたい。