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2007年11月30日

インターネットとのつきあい方

今週はほとんど必要最低限しかネットに触れていない。

いかにネットに耽溺せずに、欲しい情報を気持ちよく取得するか。
いかに(本当の意味で)インタラクティブにネットを使えるようにするか。

FastLadderを一回も使わないで過ごした一週間だったけど、しっかりとした手応えを得た気がする。

本当に便利になりうる可能性の萌芽が色んなところにあるのに、やっぱりその小さなともしびはしっかりと集まってひとつになれていないのだと思った。

目的をしっかり見つめること。

この一点にこれからも集中していこう。
一番大事なのは、「How」が何なのかを知り、きちんとそれに答えうる準備をすることなのだ。
まだまだ色んな準備が待ち受けているけど、少しずつ成長していることを感じる。

色んな人のアドバイスが最近の私をとても支えてくれています。
みなさんありがとう!!

2007年11月28日

"みんなの"ニンテンドーチャンネルは本物か

みんなのニンテンドーチャンネル(任天堂公式)を見れば詳しくわかると思うのだが、
いつも通り本質は使ってみるまでわからないもので。

昨日自宅に帰ってWiiのイルミネーションが光ってたので、先日マリオパーティーをもって遊びに来てくれた友人夫妻からの伝言板メッセージかと思って確認したら、ノーマークだったお知らせが来ていた。

最近は色々と法律関係のドキュメントを必死で作っているので、Webをチェックしてなかったのでまさに寝耳に水。さっそく使ってみた。

単純に映像配信の対象にWiiがなった事が喜ばしすぎることだと思った。
宮本さんのインタビューが見れる任天堂のマシンが自宅にある21世紀だ。
自分のゲームで遊んだ感想を直接任天堂や他のみんなに知らせることが出来る21世紀だ。

しかし…

今話題のWiiFITは、Wiiメニューにインストール出来るようだ。
そしてDSとの連携、ショッピングチャンネルの抜本的な改訂とも言えるこのチャンネルは、
Wiiそのもののありようを完全に変えてしまう予感がするのだ。
DSとWiiの連携をより強固なものにするために、かねてから噂のあるストレージ付きのDSが登場してくるのだろう。
任天堂のことだから、別売りカートリッジの追加でも同じサービスが受けられる配慮は当然あるものと思う。
近所の子供たちを見ていても、LiteでなくオリジナルのDSを大事に使っている子は多い。
こういう子の大事なDSを無駄にするような任天堂ではなかろうと思う。

体を動かして、家族みんなでそれぞれの健康に興味を持ち、語らい、居間に集まる。

家庭の中で失われたコミュニケーションに光を当てることこそが今後の任天堂の使命なのは間違いない。
人と人の結びつきを取り戻そうと彼の人たちは奮闘しているのだなと思うと、言葉にならないくらいの感動と興奮があった。

その歩みは決して早すぎる事なく、遅すぎることもなく、進んで行くのだと思う。

今自分の奮闘している事柄もかくありたいものだ。

2007年11月27日

現代用語の基礎知識に「おもてなし」

「おもてなし」が現代用語の基礎知識に!でも取り上げていただいた通りですが、現代用語の基礎知識2008
に収録されたようです。

昔からあって、いつまでも変わらないものですが、この追求なくしてものづくりはないのではないかと改めて考えさせられました。

panorama2

satoshiさんははてなで知ったようですが、私はITmediaで知りました。
以前からはてなダイアリーキーワードにはなっていたのですが、思い起こせばこれもsatoshiさんのデジタルデバイドとユーザーエクスペリエンスというエントリにコメントさせていただいた事が契機だったわけで。

Use Experience は「おもてなし」だと思っています。 関係ないですが、CNETのプロフィール内容古くなってますね。

Posted by: Naotake | 2006.04.05 at 09:42

コメントしつつ当時はてダにこういうエントリを書いたのも今ではなつかしい。

本当のおもてなしの心を知っている方と会うたびに痛感するのが、 そういった人たちが例外なく、それぞれの「趣味」を追求していて、 かつ他人に迷惑をかけない中での「自分らしさ」を表現していること。 いつも本当に歓心させてくれる友人に恵まれているなぁと思うのは、 こう言った味わい深い人たちの存在である。 おもてなしの心を持って誰かを幸せにしたいならば、 これらの経験をもう一度よく心に留めて、 そこから生まれて来るものを見つめたいと思った。

当時作っていたサービスは、それなりにちゃんと仕上がったけど、きちんとエンドユーザさんの手元に届けられていたとは言いがたかった。
自分らしさを大事にするだけでは到底足りない。
相手に対して心づくしをもって、「あなたらしさ」を見つめて、心を寄り添わせなければ。

当時のsatoshiさんのエントリにもあるテーマは、未だに健在なのだと再確認。
引用すると

* 携帯で撮影した写真をブログに貼り付ける
* 自分達のバンドが演奏した曲をポッドキャストで公開する
* ハードディスクレコーダのディスクが一杯になったので、パソコンにバックアップする
* iPodをカーステレオに繋いで音楽を楽しむ

ケータイで撮った写真はTumblrに貼る分には簡単になったかも知れない。でもケータイはそれを楽にしようと努力してない。auがそこを目指しているようではあるけど、根本的には使う人の気持ちを考えられているとは思えない。

ポッドキャスト公開の簡単なレコーダー。あれば良さそうなのにまだない。
聴く方は発展しても、発信する方はそんなに盛んにはなってない。
ラジオ持ってる人とハムの免許持ってる人のデバイドは健在だから…とかではない意識改革があってもいいんではないかと思う今日このごろ。
専用ハードウェアで新しい経験っていう路線は絶対ありだと思うんだけどな…

ハードディスクレコーダーは満杯になるものらしい。
正直これは根本的な解決にはちょっとしたヒネリが必要なんじゃないかと思ってたり。
既得権益よりも大きな理論が動く場所を見つければなんとかなるかも。
コンテンツそのものに本質があるのではなくて、コンテンツを通した共通認識にこそ価値があるのはニコニコ動画に顕著だと思う。
結局独り占めする良さ、楽しさ以上に、人は楽しさを分け合ってこそ、喜びを感じるものなのだから。

iPodがつながる事が前提の車は増えた。
もちろん、これはAppleの確信犯的な行動の賜物だと思う。

また新鮮な気持ちでおもてなしを考えられてよかった。

おもてなしの確信犯を目指して、サービスサービスぅ!

2007年11月08日

sunset 11/08

IMG_0057.JPG

2007年11月06日

Quick Lookの便利な使い方

LeopardのCover Flowはなかなか楽しいけど、ちょっとした工夫で使いやすくしたい程度のむず痒さがまだある。
単純に使い慣れてないだけなのかも知れないけど、検索ボックスにキーワードを入力した時にデフォルトでHD全体を対象に検索しだすのがいただけない。
目的のディレクトリの中のファイルが多過ぎて面倒だから探す事が多いのに、なんとも気配りの足りない仕様に感じてた。

tuawにすばらしいTipsを発見したのでメモ。

ターミナルで、

qlmanage -p *.png

とかやれば、該当ディレクトリ内のファイルをワイルドカードを通してQuick Lookできる。
当然だけどQuick Look対応のファイルならどれでも見れるので、すごく生産性が向上すると思う。

ディレクトリを細かくわけて作業する人には逆に不便なのかも知れないけど、テーマごとにディレクトリはわけて進行中のファイルも全部とっておく自分にとっては最高のLeopard Hackかも知れない。

2007年11月05日

オシャレしてラジカセ担いでOpenSocial

facebookだと俺はこのへんにいます。
で、なんかOpenSocialだそうで。

色々詳しい人が知見を散々書込んでると思うので、ソーシャルグラフがなんだとかいう事はひとまず置いておいて、最近色々考えた事をまとめておこうかと。

独り言なんで意味わからないかも知れませんが、weblogの私なりの使い方にてご容赦のほど。

気分じゃないときは関わりたくないソーシャル

粋と無粋のあいだに何があるのかなんて語りたくもないわけですが、正直そんな気分じゃないよってタイミングで割り込まれる事が好きじゃない気分ってあるわけで。

IMG_0023.JPG

踊りたい気分の時は踊りたいところに居るし、飲みたい時は飲みたい場所に居るのが普通だっていうのに、こういうソーシャルなんとかが日常に土足で上がり込んできそうな嫌悪感ってないですか?

mixiだってすごく流行ってるけど、押し付けられると面倒なもんですよね。
なんというかもっとほどよくゆるーくつながれないかな、というか。

本当はどうでもいい奴の名前なんて覚えないだろ?

うわべの付き合いでいいや、って思ってる相手を上手に切り分けて行動が出来るのが大人のマナーなんだろうけど、それを上手くコントロール出来る方法って何かないもんだろうか?
本当はどうでもいい奴の発言がウザいと思ってるなら、2chびゅーわなんかで透明あぼーんするみたくすっきりと消せたら何よりなのに、と思っている自分がいるとかいないとか!

相手が何してるかわかんないからケータイに電話するのが苦手だよ

奥ゆかしい人の中にはこういう感覚を持ってる人もいるみたい。
そこまで奥ゆかしくなくても、アラートメール以外飛んでこなそうな時間に彼氏が帰宅しないから電話とか人に出来る人ってそうそう居ないよね?
うまく人とコンタクトするっていうのも、大人になるにつれて学んでくことなのかも知れないけど、いまだに上手く出来てないんだ!!
どうすれば失礼じゃなく連絡出来るのか、相手が今どんな状態なのか、そしてどんな連絡手段が今最適なのかとか、どうにか知りたい!
そのためにはこちらのある程度のステータスも教えて上げられたら良いのになって思うよ。

目に見えないつながりを自分の見方でグルーピングしたいな

自分のともだちを他事己紹介する時も、相手がどんな人かって説明する事はあるけど、心の中でうまく整理できているのに使えていないって事ないかな?なんとなく注目してる人がどんな相関関係の中に居るのかとかも見えるようになると面白いのに

あんまり興味ない人は自然に見えないくらいで丁度いい

人に限らず、本当は必要ない情報って目に見えてるとノイズなんだと思う。
フィードで全文吐けよ!って人が居るのも納得だけど、レイアウト上全部見える必要ないエントリの本当の意味での中身をこっち(more扱いのほう)に書くようになったのも、同じ心理からなんだ。
クラブに行ってかわいい女の子をナンパしようと思ってる時にどんな男がいるかなんてあんまり見ないでしょ?逆に男のともだちを探してる場合とかハッテン目的の時には女の子はどうでもよくなったりすると思うんだけど、ああいう心理的なフィルタリングをうまく使えるように出来ないかな?

興味のあるなしが微妙な事について

実はこの辺が一番難しい話なんだけど、興味があるのかないのか微妙な事をどこで線引きするのか、っていうキモの部分を上手く扱えるようにしたいね。
どんなふうにしたら上手くいくのかしばらく考えてみるけど…

どうせ趣味のあうともだち。に出会う方法は欲しい

昔から全然他のネタでも同じ事書いてるけど、興味の近い人なんて自動的に教えてくれてもいいと思うんだ。必ずしも本当の正解である必要なんてないわけだから、何かのきっかけで「どうよ?」って勧めてくれるだけで全然変わるのにな…って思うこと多いよ。

2007年11月02日

選挙ポスターの謎

よく街角で見かける選挙ポスター。
下手したら民家の壁なんかにも貼ってある訳ですが、
あれって貼ってもらう時って対価は支払われてるんでしょうか?

どなたかご存知の方がいらっしゃったらmailがコメント欄で教えて下さい。

mailはnaotakeどっとtakadaあっとGメールです。

行間を読む力

 Facebookにしろ、MySpaceにしろ、それなりの成果を上げている人たちの話を聞くと、ちゃんとしたコミュニティを成立させるために色々と苦労・工夫をしているし、そこで大切なのは「すごいテクノロジー」なんかではなく、「ユーザーからのさまざまなフィードバックを受けて誠実に対応する態度」であったりするから何とも面白い。

話を広げすぎてない?と思うくらい壮大なサービスを考えてるなら、
その事はどんどん自慢しちゃっていいと思うよ!
でも実現したい事が「なにすげーこと」とか「なにかおもしろいこと」を
「やる」だったらそれはお客さんだ。

俺たちに必要なのは、具体的にどんな人を喜ばせたいか、っていう
アホみたいに小さな目標と、それに向かってどれくらい真剣になれるか、っていう態度と、
明文化できることだけを信じないで、目に見えない「それ」を掴んで形にしてくことだ。

もちろん明文化をさぼっちゃだめだ。
なんとなく理解している概念上の事柄を、なんとなく脳内にとどめててもだめだ。

出力して、眺めて、他人の批判を浴びて、それに向かって努力しないと。

俺たちは旅芸人だ。
行った先で必ず歓迎される保証なんてどこにもない。
でも、お客さんを喜ばせたい思いだけで、笑顔をみたいっていうわけのわかんない物だけで、
どこまでだって行ける。

行間を読む力、言葉にならない言葉を、形にする力と、強さ。
きっとデジタルで表現された物の中に入り込む「味わいの領域」をどうやって形にするか、
お客さんの欲しがっているものに対して真摯に対応する力。

そしてそれを最大の目的であるという理解と信念が一番大事。

誰かにとっての大切な何かを、そっと支えられるように。
Show must go on.

何でもつくる、ってのはマズい

何でもやります、何でもつくりますっていうのは結構ヤバい。

本来、自分がやれる事とやりたい事が完全に一致している希有な人をのぞけば
誰もが「やりたい事」に手が届かないなりの努力や苦悩をしているはずだ。

だけど、その苦悩は本当に必要なものなのだろうか?
「やりたい事」以上に、「実現したい事」の方を明確にさせる事が重要なのではないだろうか?

自分に求められている事と、自分が与えたいと思っている事も
一致してるなんて幸せなことはそうそうないだろう。

だったら、求められていることの中にある、誰かが自分を通して実現したがっている事と
自分が誰かを通して実現したがっている事の本質を見抜く努力はいつも必要なんだ。

そういう意味で、あなたが全力疾走出来るからといって
全力で走る場面じゃないところで走ってもいけないわけだし、
走るべきときに歩いてても駄目なんだと思うけど、
これもまた都合良くタイミングが一致するわけもない。

でも一番大事なのは、これらの「ズレ」を見つめて、それぞれの努力で修正していくことなんじゃないかな。

自分が見抜く本質が、何を意味しているのかは、
誰もが自分の中にしか持ち得ない感覚なんだと思う。
それが正解なのかどうかなんて行動した結果でしか得られない。

つまり、本当の答えなんて自分は持ってないことに気付く事が一番大事なんだ。

世界は完璧で自分は何でも出来る!なんて幻想なんだな、って事に気付かないと。
それはきっと傲慢さなんかじゃなくて、必死すぎて気付かない状態なんだなって事に気付くと、
息継ぎなしで泳いでる事に気付いた時に、はじめてした息継ぎみたいに効果があるんじゃないかな。

そろそろ息を止めるのをやめないと!