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現実は現実によってのみ塗り替えられる

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「常に最悪の事態を想定する」事の難しさを痛感する出来事がいくつか重なった。

ひとつは、想像しうる最悪の事態というものはそれを想起するだけでも縁起が悪いと考える契機になったり、心理的な不安を呼び覚ますという局面がある、という事。
誰もが同じ思考をするということはやはり到底起こりえないので、この思考法に関して他人に披瀝することが必ずしも得策ではないのだという事は肝に銘じておきたい。

ふたつめは、最悪の事態そのものに対する備えを怠ってしまうこと。
特に誰かに依頼した事柄や出来事、タスクというものが「取るに足らないもの」だからと言って確認を怠ってはいけない。その「取るに足らないもの」が、依頼されている当事者にとってはこちらの想像を遥かに超えて難しいものである場合もあるし、こちらにとってその「取るに足らないもの」の重要性がどの程度なのか相手に正確に伝わっていなければ、やはり「取るに足らないもの」であると同時にすぐに処理しなくても差し支えのないものであるものとも思われてしまい、未完了タスクリストの最下層に放り込まれて、忘れ去られてしまうかも知れないのだ!

これらの事柄に共通することとして今じぶんが捉えているのは、コミュニケーションというものは相手との共通認識、相互理解を何かしらの明白な結果に結びつける段階まで至ったことが確認できるまでは、実際は成立していないのかも知れない、という知見である。

雅びなコミュニケーションやニュアンスで通じあえる友人とのまじわりをさして言っているのではない。

これは、現実を生きていて、現実を塗り替えなければ生活することすらままならない、自分というなまの存在の再発見なのだと思う。

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