"mm"モバイル・マルチメディアという死語
>最近、ニフ亭というポッドキャスティングにハマっている。
察しの良い方ならすぐにおわかりの通り、ニフティの寄席である。
ついでに言えば、寄席の醍醐味でもあろう二つ目の伎倆を確認出来る好機も得られる。
勘亭流で描かれた「ニフ」は「二つ」とも空目出来るという出来でもあるわけだ。
#枕が長くて本題がつまらないのはいい真打ちに成れない気がするので本題に入る
「マルチメディア」という言葉、聞いたことあるだろうか?
私の少年時代はバズワードとして、今で言うところの「Web 2.0」と同じくらい重宝されていた言葉である。
複数の形態の情報を扱う能力を有するもの、またそれを扱うモノそのものも含めて「マルチメディア」と呼ばれていたが、後にソフトとしての側面とを区別すべく「マルチメディア・コンテンツ」などという言葉と分化し、しまいにはソフトのほうは「コンテンツ」などと呼ばれるようになる。
ケータイのマルティメディア化、というものにまたフォーカスが当たっている。
そもそも双方向性を前提としている全二重音声通信端末である携帯電話。
SMSサービスを皮切りに、簡易的なWebやeメール、アプリケーション環境に写真、音楽再生、動画再生に、とその「マルチメディア」性を高めてきたわけだが、ここへ来て近年言われているのが「高画質化」の技術を以てして今後も世界に訴求しうる商品が作れるという論点に希望を見出さんとする携帯電話メーカーの凋落ぶりは見ていてツライ物がある。
それぞれ単体で見れば圧倒的とも思える技術を集約させておきながら、大抵のユーザ(自分も含む)から聞こえてくる意見は、「欲しくないものは沢山あって、欲しいものがない」というなんとも情けない話であった。
列挙に暇ないが、それぞれ単体で見れば、世界に誇れる技術の集積がありながら、商品経済のスケールも、実際の顧客の考えとも、まるで関係のない政治的な思惑や技術的に意味のあるだけの無為なこだわりの生み出した産物が、今店頭に並んでいる残念なケータイたちなのだと思う。
iPhoneが発表されて、提灯記事から批判記事、はたまた業界の中の人による羨望、反省その他沢山の意見が出てきているが、全員がなぜか議論していない感のある本質的な問題がそこに横たわっている。
「欲しいモノ」になっていない、というただそれだけのことである。
どれだけ優れた音楽再生機能を持っていても、音楽がそこになければステキなメロディは聞こえてこないだろう。誰にも理解されない独自のCODECや、特殊なツールでなければ音楽そのものをケータイに入れられない仕組みそのもの、はたまたお気に入りのヘッドフォンが使えないヘンテコな端子のカタチ、どこにも売ってない奇妙なリムーバブル・ストレージ。すぐになくなる電池や、持っていて悲しくなるチャチなみかけ。
画素数を自慢しても、撮ろうと思った時に撮れないカメラ。
撮影したモノを人に披露しようのない仕組み。
iPhoneで一番感銘を受けた部分は、撮ろうと思った時にすぐに撮れる雰囲気だった。
確かに厳密に言えば撮影アプリケーションそのものの起動には若干のもたつきがあるが、さっとスライドして撮影に入り、すぐに撮影し、撮影したばかりの写真をいっしょに見れるコミュニケーションがそこにはある。
その場にいない人に向けてすぐにその感動を届けるには、いささかハードルは高いものの、その場でのコミュニケーション能力がこれほど高いデバイスは今のところないと思っている。
マニュアルの明るさ補正も、ホワイトバランス調整も、ピントもズームも、いわんや動画なんてとんでもない!という状況だし、画素数の話なんて聞かないでくれといったところだが、忘れていた高校時代のことを私に思い出させたのだ。
私が高校生くらいの頃は「写ルンです」という商品が流行っていた。
コンビニで買って、アルミニウムのフィルムを破って取り出した使い捨てのプラスチック製のカメラは、ただただ友達と笑いながら、レンズカバーも何もなく、ピントもズームもなく、プラスチック製のフィルム送りを指でじっじっとスライドさせてば、すぐに撮影できたし、いつでもポケットに入れておけた。
大切な思い出のために、シャッターチャンスを逃した記憶はない。
このアドバンテージからすれば、いわゆるデジカメの類いのほぼ全てはゴミと言っても良い。起動が遅いだけではない。シャッターなど意味がないくらい遅延して動作するのだ。
こんなものがデジタルの力だと言うなら、デジタルなど無くなった方がいいのだと思っていたくらいである。
いささか脱線してはいるものの、まだまだ続きます。
時間の都合もあるので、続きは後ほどこのエントリに追記していきます。