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2007年09月20日

サイコミュ実用化

2007年09月18日

現実は現実によってのみ塗り替えられる

「常に最悪の事態を想定する」事の難しさを痛感する出来事がいくつか重なった。

ひとつは、想像しうる最悪の事態というものはそれを想起するだけでも縁起が悪いと考える契機になったり、心理的な不安を呼び覚ますという局面がある、という事。
誰もが同じ思考をするということはやはり到底起こりえないので、この思考法に関して他人に披瀝することが必ずしも得策ではないのだという事は肝に銘じておきたい。

ふたつめは、最悪の事態そのものに対する備えを怠ってしまうこと。
特に誰かに依頼した事柄や出来事、タスクというものが「取るに足らないもの」だからと言って確認を怠ってはいけない。その「取るに足らないもの」が、依頼されている当事者にとってはこちらの想像を遥かに超えて難しいものである場合もあるし、こちらにとってその「取るに足らないもの」の重要性がどの程度なのか相手に正確に伝わっていなければ、やはり「取るに足らないもの」であると同時にすぐに処理しなくても差し支えのないものであるものとも思われてしまい、未完了タスクリストの最下層に放り込まれて、忘れ去られてしまうかも知れないのだ!

これらの事柄に共通することとして今じぶんが捉えているのは、コミュニケーションというものは相手との共通認識、相互理解を何かしらの明白な結果に結びつける段階まで至ったことが確認できるまでは、実際は成立していないのかも知れない、という知見である。

雅びなコミュニケーションやニュアンスで通じあえる友人とのまじわりをさして言っているのではない。

これは、現実を生きていて、現実を塗り替えなければ生活することすらままならない、自分というなまの存在の再発見なのだと思う。

2007年09月13日

いまさらレジデントアプリなんてありえない

いまさらレジデントアプリなんてありえないという主張でsatoshiさんが講演するという話だ。

すでにUIEジャパンの告知には載っていたのと、組込関係者にはmailでお知らせが飛んでいたもよう。
友人の何名かからは「なにやるの?」とか聞かれたりとか。
naotake自身はお手伝いには行くけどきっと何もしないかも。

ローエンドデバイスにスパイスを効かせるのがネットワークってモノだとしたらこれしかない!
と思ってUIEに参加したわけだけれど、未だに理解していない人が多い原因としても同じことが横たわっている気がする。

ネットに繋がっていないMP3プレーヤーならいざしらず、常時接続が前提のIPTVセット・トップボックスで「レジデントアプリ」というのは今の時代には絶対にありえない。

オフラインでは使い物にならないIPTVで、レジデントアプリを欲しがるなんて、実際にはコンセントからの給電でしか動かないのに一生懸命バッテリーの研鑽してるようなもんだと思う。

うん。無駄。

でも一面の理があることもわからなくはない。
少しでも無駄なデータ転送を減らしたい…とか思ってるんだとも理解出来る。
peerで必要なデータなんではなく、皆が必ずアクセスするリソースをネットで流すのが無駄だっていうなら、電波で放送でもして蓄積しておけばいいだけなんじゃないかと思ってる。
効率化に真剣なのであれば小手先の回避策よりも根本的な解決を摸索…しないのも伝統なのかも知れないと思ったり。

2007年09月12日

"mm"モバイル・マルチメディアという死語

最近、ニフ亭というポッドキャスティングにハマっている。
察しの良い方ならすぐにおわかりの通り、ニフティの寄席である。
ついでに言えば、寄席の醍醐味でもあろう二つ目の伎倆を確認出来る好機も得られる。
勘亭流で描かれた「ニフ」は「二つ」とも空目出来るという出来でもあるわけだ。

#枕が長くて本題がつまらないのはいい真打ちに成れない気がするので本題に入る

マルチメディア」という言葉、聞いたことあるだろうか?
私の少年時代はバズワードとして、今で言うところの「Web 2.0」と同じくらい重宝されていた言葉である。

複数の形態の情報を扱う能力を有するもの、またそれを扱うモノそのものも含めて「マルチメディア」と呼ばれていたが、後にソフトとしての側面とを区別すべく「マルチメディア・コンテンツ」などという言葉と分化し、しまいにはソフトのほうは「コンテンツ」などと呼ばれるようになる。

ケータイのマルティメディア化、というものにまたフォーカスが当たっている。
そもそも双方向性を前提としている全二重音声通信端末である携帯電話。
SMSサービスを皮切りに、簡易的なWebやeメール、アプリケーション環境に写真、音楽再生、動画再生に、とその「マルチメディア」性を高めてきたわけだが、ここへ来て近年言われているのが「高画質化」の技術を以てして今後も世界に訴求しうる商品が作れるという論点に希望を見出さんとする携帯電話メーカーの凋落ぶりは見ていてツライ物がある。

それぞれ単体で見れば圧倒的とも思える技術を集約させておきながら、大抵のユーザ(自分も含む)から聞こえてくる意見は、「欲しくないものは沢山あって、欲しいものがない」というなんとも情けない話であった。

列挙に暇ないが、それぞれ単体で見れば、世界に誇れる技術の集積がありながら、商品経済のスケールも、実際の顧客の考えとも、まるで関係のない政治的な思惑や技術的に意味のあるだけの無為なこだわりの生み出した産物が、今店頭に並んでいる残念なケータイたちなのだと思う。

iPhoneが発表されて、提灯記事から批判記事、はたまた業界の中の人による羨望、反省その他沢山の意見が出てきているが、全員がなぜか議論していない感のある本質的な問題がそこに横たわっている。

「欲しいモノ」になっていない、というただそれだけのことである。

どれだけ優れた音楽再生機能を持っていても、音楽がそこになければステキなメロディは聞こえてこないだろう。誰にも理解されない独自のCODECや、特殊なツールでなければ音楽そのものをケータイに入れられない仕組みそのもの、はたまたお気に入りのヘッドフォンが使えないヘンテコな端子のカタチ、どこにも売ってない奇妙なリムーバブル・ストレージ。すぐになくなる電池や、持っていて悲しくなるチャチなみかけ。

画素数を自慢しても、撮ろうと思った時に撮れないカメラ。
撮影したモノを人に披露しようのない仕組み。

iPhoneで一番感銘を受けた部分は、撮ろうと思った時にすぐに撮れる雰囲気だった。
確かに厳密に言えば撮影アプリケーションそのものの起動には若干のもたつきがあるが、さっとスライドして撮影に入り、すぐに撮影し、撮影したばかりの写真をいっしょに見れるコミュニケーションがそこにはある。

その場にいない人に向けてすぐにその感動を届けるには、いささかハードルは高いものの、その場でのコミュニケーション能力がこれほど高いデバイスは今のところないと思っている。

マニュアルの明るさ補正も、ホワイトバランス調整も、ピントもズームも、いわんや動画なんてとんでもない!という状況だし、画素数の話なんて聞かないでくれといったところだが、忘れていた高校時代のことを私に思い出させたのだ。

私が高校生くらいの頃は「写ルンです」という商品が流行っていた。
コンビニで買って、アルミニウムのフィルムを破って取り出した使い捨てのプラスチック製のカメラは、ただただ友達と笑いながら、レンズカバーも何もなく、ピントもズームもなく、プラスチック製のフィルム送りを指でじっじっとスライドさせてば、すぐに撮影できたし、いつでもポケットに入れておけた。
大切な思い出のために、シャッターチャンスを逃した記憶はない。

このアドバンテージからすれば、いわゆるデジカメの類いのほぼ全てはゴミと言っても良い。起動が遅いだけではない。シャッターなど意味がないくらい遅延して動作するのだ。
こんなものがデジタルの力だと言うなら、デジタルなど無くなった方がいいのだと思っていたくらいである。

いささか脱線してはいるものの、まだまだ続きます。
時間の都合もあるので、続きは後ほどこのエントリに追記していきます。

2007年09月10日

アウン・サン・スーチーを解放してください

Human Rights Action Center
US CAMPAIGN FOR BURMA

それぞれ彼女の解放を訴えてます。
その中でも、ジム・キャリーのこの訴えはなかなかグッと来たので改めてポスト。

ミャンマー人の友達と、改めてこの件を話そうかと思ってます。

なかなか突っ込んだ話を聞かないで来たけど、何か今大切なことがわかりそうな気がするので。

2007年09月05日

塩チョコ、うますぎ。

40円で買えるぜいたく。
塩チョコ
ことばでレビューしてもしょうがないし、40円だから、近所のセブン・イレブンで買えばいいと思う。
日本国外にお住まいで「たまらん」と思った方はgmailにでもご連絡を。

YouTube 動画ダウンロード memo

http://cache.googlevideo.com/get_video?video_id=xxx

.flvのダウンロードをするにはxxxの箇所をそれぞれのVideoのidに変更する。

ここを参考にiPod用に変換。

enjoy!!