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2007年06月29日

スターウォーズ

コピペだけど、ステキだったので

スターウォーズってでも小説とか読むとよくわかるんだが

ど田舎の砂漠の惑星から「フォースの調和をもたらす」と称して奴隷の子供をギャンブルで
勝ち取って来て愛も与えず育てながら母親が死にそうなのも嫁さん(そもそも結婚は
ダメなんだが)が死にそうなのもすべてフォースに逆らうなというわけのわからん助言しか
与えずすぐ近くにいるシスに気がつかなかったくせにそのシスに自暴自棄になった
若者ジェダイを近付けてしまってジェダイだシスだという勝手な派閥争いで議会で決めた
法律やら制度を無視して議長を殺そうとして勝手にシスに寝返ったなって因縁つけて
師匠が弟子を両足切断後溶岩に燃やされている状態で放置し、その弟子の子供に敵が
自分の父親だってことも教えずロクに訓練も受けさせないままに戦わせ負けそうになると
まだ妹がいるさという暴言を吐く

そんな素敵で壮大な物語なんだよ

元スレが発見出来なかったけど、なかなかナイス。

2007年06月23日

泥警2007初夏の陣-いよいよ今夜!

JR国立駅前に22時集合です。
走れる格好で、出来れば懐中電灯を持って、
万障お繰り合わせの上お越し下さいませ。

2007年06月20日

らじろぐ

らじろぐというサービスを今日人に教わったので試してみた。
http://radilog.jp/

音楽をとことん楽しむための何か、ってのを今考えてるんだけど
とりあえずテーマにしたのが

Chatでログインするラジオ局

ハガキとか電話とかFAXとか、DJと自分と、はたまたリスナーどうしのコミュニケーション。
Chatでそのままラジオ局にログインして色々勝手な事話せるのも面白いかもしれん。

と、思ってたらこのらじろぐまさにそういうカンジになってる。

たまたま放送中だったちさとのまったりラジオ♪に参加してみた。
VIPPERの乱入におびえてたのでトラックバックしたら?と提案してみたが、
彼女はTB知らないそうだ。
確かにいくつかの2ちゃんねるのスレに酷いタイトルのスレを立てられていて、
彼女のblogのURLが貼られていた。
ラジオ二時間ぐらいやたとか、ラジオのつれづれを語ったブログ。
この左端にあるブログパーツから彼女のラジオが聞ける。

驚いたのは、著作権的な問題もあって、彼女が「歌リク」にこたえること。
つまり、チャットでリクエストした曲を彼女自身が歌うのだ。

聞くのとやるのとは大違い。一度らじろぐに行って放送中のチャンネルを視聴してみるといいだろう。
アカウントを作らなくても放送を聞く事は出来るが、チャットにログインしなければ何が起きているのか理解出来ないかも知れない。

いわゆる2チャンネルから来たオタク層と、10代の女の子のゆるい交流の場になっていて、とてもピースフルだった。

2個目のテーマに関してはまだ書くタイミングではないのでまた今度。

とりあえず、楽しい音楽サービスのプロトタイピングに今は夢中!

2007年06月19日

Don't Stop Me Now

I'm burning through the skies Yeah!

inspired by http://satoshi.blogs.com/life/2007/06/dont_stop_me_no.html

2007年06月12日

Life Hack::今見ているWebサイトを携帯で見てみる

Step 1 ブックマークレットを登録 A

QRCODE@←これを右クリックしてブックマークに登録します。

これがブックマークレットと言われるものです。
ブラウザの「お気に入り」や「ブックマーク」に登録して、何かのWebサイトを見ている時に選ぶと動く小さいソフトウェアだと思って下さい。

このブックマークレットを使うと、ひとまず今見ているWebサイトが携帯でそのまま見れます。
面倒な手順は一切不要。
そのまま選んで、ケータイの「バーコード認識」などの機能を使って読み取れば、そのまま見れてしまう、という寸法。

※変換にはQRCODE@を利用しています。
※QRコード® は、株式会社デンソーウェーブの登録商標です。

今見ているWebサイトが携帯でそのまま見れます。
でも、ケータイに対応していない普通のPCサイトだと、ぐちゃぐちゃになってしまって見れたもんではなくなってしまうわけですが。

Step 2 ケータイで見れるように変換しちゃう

Googleが提供しているケータイ向けのゲートウェイを使って変換しちゃえばとりあえずokかなってことで、ケータイURL
これもStep 1と同じ方法で、とりあえず見ているPCサイトをケータイサイトとして変換してくれるブックマークレットです。
ケータイで見たら壊れちゃった時なんかに使って、2→1と2クリックでケータイサイトに変換済の状態で今見ているWebサイトはなんとかケータイでも楽しめるようになります。

そこそこ使えるようにはなったものの、PCサイトのレイアウトままでケータイで見る方法ってないもんでしょうか…

ケータイがPCになればいいんじゃね?って気もしなくもないけど、今使ってるケータイでサクサクPCサイトをそのまま見たいな…とどうしても思っちゃいますね。

EM ONEは仕事で使わせてもらってるものの、EM ONE取り出すほど無粋にもなれなかったり。HSDPAでOperaがグリグリだぜ!とかでテンションはあがらないわけで。

iPhone待ちなのか…(MacBookでもSafari使ってないけどね…)
てかDocomoから出るのかなーと言えばなんだか絶望的な気もしなくもないし。
auから出ればauに、SoftBankから出れば…とかは負けな気がするし。
個人的にはemobileから出てくれたら嬉しいな。

企業理念

Life is beautiful:「企業理念」の大切さ

Satoshiさんの触れたその理念に関して、クロスオーバーしている部分とそうでない部分に関して。

結論から先に。

「なぜ?」を「いかに」解決するかに躊躇しない

ことを考えていくことが理念だと思う。

この文脈をベースに、Satoshiさんの意見を分析してみる。

「お父・母さんの時代にはこれがなくて一体どうやって生活していたの」と次の世代に言わせるぐらいに人々のライフスタイルにインパクトを与える「もの・サービス」を作る。

ここでは「もの」なのか「サービス」なのかが明確になっていない。
naotake個人として、今の世界に決定的に足りないものは何かを考えた時に浮かぶのは、
人間が行う活動そのものをより良くする何かが決定的に不足している、という事だ。

単純に生命維持活動の範疇に属する命題において、必要不可欠な事柄の大半は20世紀の中ごろまでには解決していたのではないか?と歴史から学んだけれど、今現在自分の生きている地平において決定的に人間はしあわせになったのかと考えると、そうとも思えないことだらけだ。

何かの利便性というのは、たいていトレードオフの上になりたっていて、そのトレードオフに慣らされてしまう事によって、本来はもっと合理的に解決できた筈の問題が形を変えただけにすぎないのに、時として人はその問題そのものが解決してしまったのだと誤解をしがちなのではないかと思う。

あえて抽象的にしか記述はしないが、自分の日々行っている行為そのものが、無意味でも楽しい事だったり、有意義なはずなのに苦痛にしかなり得なかったりするのは、なぜなのだろうか。マクロでも、ミクロでもない視点で、直情的に、軽薄に、躊躇なく立ち向かえる組織であれば、自ずから決定的な何かを創造できると感じる。

それは、サービスだったり、ソフトウェアだったり、ハードウェアだったりするのだろうし、音楽だったり、映画だったり、くだらない流行語だったりするのかも知れない。

根本的に人の行いを支援すること。
その何かに対して明確な道筋が描けるのであれば方法論は手段にすぎない。
この原則さえ理解しておけば、「もの」なのか「サービス」なのかは俎上にのせる必要もない事柄だと考える。

そういう意味では文中に含めない方が適切だと思う。

テクノロジーのためのテクノロジー作りに陥らず、ネット・デバイス・ソフトなどのさまざまなテクノロジーの恩恵を万人が受けられるようにする。普通の人が使いこなせないテクノロジーは、存在しないに等しい。

前段から考えても完全に同意である。
しかし、リテラシーの程度によらず、多くの人々の欲求というものが世界の真実である事を真摯に受け止める覚悟が必要だ。技術的に困難な課題であろうがなかろうが、人は欲しいものしか欲しない。

人は「こんなものを作りたい」「こんな世界を実現したい」と心の底から感じた時に一番力が出せる。「トップクラスの人たちが、持てる力を最大限発揮できる」「楽しくて24時間仕事のことが頭から離れない」、そんな仕事場を提供する。

ここで前段と矛盾する。そしてこの矛盾こそがもっとも大きな価値を生む。
本当に人にとって必要なものを「トップクラスの人」が作りたいと思う事は稀である。
しかし、ここで言及されている「トップクラスの人」というものは、通例的な意味合いで書かれたものではなく、真にみんなが欲しいもの、みんなが解決したがっている問題に対して挑戦し、革命を続ける人間を意味しているのだと考える。
仕事そのものが人生そのものと美しく融合出来る環境がそもそも何なのかは、その本人たちにしかわからない事でもある。

逆説的に考えれば、その環境を提供する覚悟がSatoshiさんにはある、という事だとすれば
これ以上信用できる話もなかなかない。

普通の考え方では新しいものは作れない。人と違うユニークな視点・とがった考え方・とことんまでのこだわりを持ち、失敗を恐れずに少人数でイノベーションを起こす。

真剣に普通の事を考えれば、それは普通の考えではなくなる。
突飛な事を言うだけがユニークさでもないし、他人の意見を否定する以上のものが提供出来ないのであれば、創造を生業にすべきではない。
そして失敗を恐れる意識があるのならば、創造そのものを行うべきではない。
創造は失敗を前提として、自らを前に進ませる行為そのものだ。

OTOH、失敗することが糧になるスタイルを作り出す覚悟もここには必要という事を意味していると考える。

たとえそれが期間限定であってもチャレンジ出来る環境があればチャレンジする事に躊躇がないのが創造する人間だとnaotakeは考える。
目立った失敗がないのは挑戦していない証拠か、たまたまいままで運が良かっただけなのかもしれないし、失敗から学ぶ事の方が多い事から考えればいままで失敗していないのは不運なのかも。

机上の空論に時間をかけず、とにかく手を動かして目に見える形・体験できる形を一日でも早く作る。実際のユーザーにものを提供して、そこから学ぶ。人を観察する力が、もの作りの原点だ。作る前から何を作ったら良いか・どう作ったら良いかが分かるはずがない

この項には概ね賛成。
実際には他人に耳を貸さないで突き進む場面と、話合う場面のいずれもが必要だと思う。

人を観察するべき箇所がどこなのかを見抜く、そしてその上で判断をするプロセスを体系化して自分たちのスタイルに出来る集団ならば、言うまでもない事になるのだろう。

最初から世界市場を相手にしたもの作りをする。やたら少人数なのに、ものすごい大きなビジネスをしている、そんな企業を作る。成功指標は、従業員一人あたりの売り上げ・利益。それで世界一を取る。

創造性をスケールさせる事は出来ない。生産性はスケールする。
そういう意味ではこの項には100%賛成。

しかし、成功指標は金額の多寡ではない。
その行為によって、世界は存在しなかった経験を味わう。
その行為を創造することによって、自らの人生で味わいうる最高の経験をも作り出す。
そのツールとして必要な額の金銭を利用出来ればいいだけなのだと思う。
本当にSatoshiさんの考えている環境が成立し、そこに必要なスタッフが(とても少ない人数なのかも知れないが)そろい、躊躇なく行動できるのであれば、
掲げている成功指標は実現していても不思議ではない。

とりとめもなく、Satoshiさんの「企業理念」にコメントしてみたが、
こうして考えてみると、より自分自身のビジョンも明確になってくる。

現実逃避のツールに使うのではなく、現状と自分の理想との間に何が横たわっていて、
それが何なのかを見極めるいい契機になった。

2007年06月11日

blog title test

こういうタイトルはどうかと

I got my name in lights with notcelebrity.co.uk

2007年06月05日

なんでそんなもんが必要なの?

全く、お前の頭はイカれてるぜ!

そもそも、そんな中途半端な業務用システムを公開したからって、何になるんだ?
mixiが出発した時におじさんたちの口から良く聞いた話だ。

全く、お前の頭はイカれてるぜ!

ユーザのコンテンツを勝手にアップロードさせて課金もせずに、どんなメリットがあるっていうんだ?

YouTubeが話題になりはじめた時にすら、色んな人の口から良く聞いた話だ。

今これを読んでいるお前の考えている事そのものが、なんでそんなもんが必要なのか、
人に疑われるようなアイデアであってくれる事を祈りたい。

でも、それってお前にとって必要なものなんでしょ?

だったらそれで十分。
誰のために生きているのか、誰のためにコードを書いているのか、誰のためにプレゼンしてるのか、誰のために数字を睨んでるのか。

人のため、なんて理由は後付けで全然構わないと思う。
ただたまたま、自分にとって必要なものを描き出した時に、共感してくれる人がいて、
その共感が大きな輪になって力を生んだ時に、何かが変わるかもしれないだけだろう。

心を解き放て。
何が自分を捉えているのか、
自分がこだわっている事にどんな理由があるのかを見抜け。
今握っているモノを手放すことで何が変わるのかを恐れるな。

2007年06月02日

またもサービス回帰

詳述は避けるが、とあるインパクトがあった結果
潜在的に(意図的に)構想してきたサービスの実現にむけて、
動き出すべき時期の到来を感じたため、
とある人と緊急ミーティングを行った。

サービスとは何かを理解した人間の意見はとても参考になる。
そしてやはりサービス回帰なのだ、という事に気付かされる。

ネット上のネタは同じものばかりに見える件

毎度チラシの裏進行が続いていて恐縮ではあるけれど、
ネット上のネタはやっぱり自動的な手段に頼って集める限りは、似たようなものばかりになる。

ある意味、通勤通学の電車で眺める風景が、毎日変わらなくてつまらないものだと感じてしまうのと同じように、自動的に移動するところで認識される情報は、怠惰な感情を呼び起こすものだ。

やはり、散歩は必要であり、散策の気持ちを忘れてしまっては、
リアルな世界でもネットでも、何もみつからなくなってしまうのではないだろうか。