"ユビキタス社会"は誤用なのか?
>ブログを利用して日本語から言葉を一つ消すことができるか?というセンセーショナルなタイトルで、satoshiさんがエントリしてる件について。
誰が言い出したのか知らないが「ユビキタス社会」という言葉。
今日もテレビのスイッチを入れたとたんに耳に飛び込んできて卒倒しそうになった。
「ユビキタス・コンピュータ、ユビキタス・ネットワークの実現された社会」
という意味で使われているようだが、
「ユビキタス」という言葉の使い方が思いっきり間違っているのでやめて欲しい。ユビキタスとは「遍在する(あらゆるところにある)」という意味の形容詞。
ゆえに、ユビキタス・コンピュータ、ユビキタス・ネットワークとは、
コンピュータやネットワークがあらゆる所に存在する状態のこと。
それが分かっていれば、ユビキタス・サービス、ユビキタス・コンテンツなどの応用もきく。
常識といえば常識なのかもしれないが、誰もが「ユビキタス」と聞けば
坂村さんを思い浮かべるとは思えない。
おかしな話だが、社会というものは偏在しているものなので、
「偏在する社会」という概念そのものは間違えてはいない。
どんなところへ行っても社会が存在する、という意味で使いたいのならば。
ただし、ここで誤用と言われているのは、「ユビキタス社会」が示そうとしている概念そのものと、
用語の意味する事が一致していない、という指摘なのである。
そこが理解できればなるほど誤用なのだが、「ユビキタス社会」という言葉を使って
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パーベイシブなコンピューティング(コンピュータが浸透し、どこにでもある社会)
パーベイシブなネットワーク(どこに行ってもインターネットが利用できる社会)
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の実現した世の中を指し示したい人たちの為に、
代替案を示しておく必要がある。
明確な代替案をsatoshiさんに期待します。
#自分で考えろよ、ってツッコミはなしでw