TOPダウンの功罪
>私はインタラクションをデザインし、世の中に問うてきた。
その過程を振り返ってみれば、
トップダウンというスタイルを破壊する事に費やしてきた時間とも言えた。
ビジネスの理論とものづくりの理論とは常に一致するとは限らない。
ものを作らずして売るという商売が成り立つ事は誰でも知っているだろう。
商社、金融、証券、保険。etc…
サービスを創造する、という行為の難しさは、
NOKIAのリサ・プオラッカさんを取り上げたエントリでも触れた。
トレンドを発生させる集団をターゲットに…というスタイルもあるだろう。
#しかし彼女の作った携帯はやはり使いにくいそうだ…残念だが。
使いにくくてもcoolならよい、という考え方もまたあるだろう。
しかし、本当の意味でのよいインタラクションをもたらす「モノ」は文字通り、
インタラクションそのものをデザインされたモノでなければならないだろう。
愚痴をここで述べるつもりはない。
現在携わっているミッションは現在所属している会社の、
さらにそのクライアントからの発注によって出されるミッションであったりする。
すなわち、クライアントの更に親会社の会長の鶴の一声でも出た日には、
「お触れ」として蜂の巣をつついたような大騒ぎへと発展するわけである。
これはまさに組織とそのDNAがもたらした悲劇であるとしか言いようがない。
もともとものをつくるために出発したワケではない所での、
ものづくりの限界をあらためて感じた次第。
ユーザ・エクスペリエンスを第一とするのであれば、
クライアントは常にユーザでなければならない。
そして、ユーザでもない人間の感情的な意見に一喜一憂していてはいけないし、
それに過剰反応を示しても、いいものがつくれるとは到底思えない。
本物の落語家は支配人のために落語をやるだろうか?
Wカップでサッカー選手はFIFAのためにプレイするのだろうか?
科学的なアプローチが万能であると吼えるつもりはないが、
科学的アプローチも拒否した、
自らの明確なビジョンも示さない人間のオーダーで出来た、
ナゾのサービスで果たしてどこへ向かうことになるのだろう。
私に残せるモノがなにかあるとすれば、
インタラクションとは何かを考え、行動する組織の種だけだろう。
カッコウは託卵する。
naotakeにも出来るだろうか。